「シナリオ分析をやれと言われたが、シナリオはどこから持ってくるのか」。TCFDやSSBJ基準の開示に取りかかると、必ずこの壁に当たります。自社で気候の将来像を作るわけにもいきません。
その答えとして世界で最も広く使われているのがNGFSシナリオです。NGFSは、気候変動リスクへの金融監督上の対応を検討するために設けられた中央銀行と金融監督当局のネットワークで、公表しているシナリオは無償で誰でも参照できます。
この記事では、NGFSとは何か、7つのシナリオがどう違うのか、そして開示実務でどのシナリオを選び、どこでつまずくのかまでを整理します。気候リスクの全体像は別記事で扱っています。
※数値・状況は時点により変わります。本記事は公表情報(2026年9月時点)に基づく解説で、特定の金融商品や銘柄への投資を推奨するものではありません。
この記事の目次
NGFSとは|中央銀行と金融監督当局のネットワーク
NGFSは Network of Central Banks and Supervisors for Greening the Financial System の略です。金融庁は「気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク」と訳しています。
参加しているのは各国の中央銀行と、銀行や保険会社を監督する当局です。企業を直接規制する組織ではありません。金融システムの側から気候リスクをどう捉えるかを議論する場だと理解すると位置づけを外しません。
2017年12月、8つの機関から始まった
NGFSの公表情報によれば、2017年12月にパリで開かれた「One Planet Summit」で、8つの中央銀行・監督当局によって設立されました。金融庁の説明でも、気候変動リスクへの金融監督上の対応を検討するため平成29年(2017年)12月に設立されたネットワークだとされています。
出発点が金融監督である点が重要です。企業の情報開示を求める枠組みとして生まれたのではなく、銀行や保険会社の健全性を見る当局側の必要から生まれたものです。そのため、後述するシナリオも「経済と金融システムへの影響を測る」設計になっています。
いまは152機関・95か国以上に広がっている
規模は大きく広がりました。NGFSの公表情報では、2026年8月26日時点でメンバーは152機関、95か国以上にわたり、オブザーバーは24機関とされています。オブザーバーには国際機関や多国間開発銀行、国際的な基準設定主体が含まれます。
つまり、NGFSのシナリオは特定の国の見方ではなく、各国の金融当局が共通の土台として使っているものです。ここが、自社で独自のシナリオを組むより説明しやすい理由になります。ISSBの枠組みで開示する場合でも、参照する将来像として説明が通ります。
なぜ企業の開示実務に関係してくるのか
企業側の担当者にとって、NGFSが関係してくる経路は3つあります。
- シナリオ分析の参照先として:気候関連の開示では、複数の将来像のもとで自社への影響を検討することが求められます。その将来像として使えるデータが公開されています。
- 取引金融機関の目線として:銀行や保険会社は当局からの要請でシナリオ分析やストレステストを行います。その前提が自社の与信評価に回ってくることがあります。
- 投資家の目線として:機関投資家は移行リスクの評価に同様の枠組みを使います。GPIFのような大規模投資家の分析や、ESG投資の判断軸と地続きです。
逆に言えば、NGFSに企業が加盟するようなものではありません。使う側として関わるのが実務での関係です。座礁資産の議論も、こうしたシナリオを前提に語られます。
NGFSシナリオ|7つの筋書きと2軸の整理
NGFSシナリオは、2020年以降、中央銀行・監督当局が経済と金融システムへの影響を検討できるように整えられてきたものです。もとになっているのは、IPCCの評価などで使われる気候シナリオの考え方です。
移行リスクと物理的リスクの4象限
全体像は2軸で整理されています。移行リスク(政策や技術の変化がもたらす影響)と物理的リスク(気象災害などの影響)です。この2軸で4つの世界に分かれます。物理的リスクへの適応を体系立てて評価する国際規格にはISO14090とはがあります。
7つのシナリオの中身
この4象限の中に、7つのシナリオが配置されています。NGFSの説明を要約すると次のとおりです。いずれも社会経済の前提は共通で、経済と人口の現在の傾向が続くこと、そしてウクライナでの戦争によるエネルギー市場への影響が織り込まれているとされています。
| シナリオ | 想定 | 位置づけ |
|---|---|---|
| Net Zero 2050 | 厳格な気候政策とイノベーションで1.5℃に抑え、2050年ごろに世界のCO2ネットゼロに到達 | 秩序ある移行 |
| Low Demand | エネルギー需要を減らす大きな行動変容が加わり、2050年ごろにネットゼロへ | 秩序ある移行 |
| Below 2℃ | 政策の厳しさを段階的に高め、2℃未満に抑える確率67% | 秩序ある移行 |
| Delayed Transition | 2030年まで排出が減らない。その後に強い政策が必要になり、負の排出は限定的 | 無秩序な移行 |
| NDCs | 各国が約束した政策を、裏づけがないものも含めてすべて織り込む | 遅すぎる対応の側 |
| Fragmented World | 各国の政策意欲が遅く、ばらばらになり、移行リスクと物理的リスクの双方が高い | 遅すぎる対応 |
| Current Policies | すでに実施済みの政策だけが維持され、物理的リスクが高くなる | 温室世界 |
出典:NGFSシナリオポータルの記載を要約(2026年9月時点)
実務で押さえるべきは、7つを全部使う必要はないという点です。開示では通常、対照的な2〜3本を選んで比較します。
現行は第5版(2024年11月公表)
シナリオは版が更新されます。金融庁の公表によれば、第5版(Phase V)は2024年11月5日に公表され、「中央銀行および監督当局向けNGFS長期シナリオ」やハイレベルサマリー、技術文書、損失関数に関する解説などが同時に出されました。シナリオのポータルサイトも同時に更新されています。
さらに2025年11月7日には第5版の解説資料群が公表されました。エネルギー投資に関する文書、シナリオの基本想定と主要な発見、主要な前提、物理的リスクに関する文書などです。社内資料に版を書き残しておかないと、翌年の更新で数字が合わなくなります。
シナリオ分析でどう使うか
NGFSシナリオは、それ自体が答えを出してくれるものではありません。気温や炭素価格、エネルギー需給の将来値を提供する土台で、自社への影響に変換する作業は自分で行います。手順はTCFDの枠組みと同じ流れです。
| ステップ | やること | NGFSから取るもの |
|---|---|---|
| ① 対象を決める | 評価する事業・地域・時間軸を決める | ― |
| ② シナリオを選ぶ | 対照的な2〜3本に絞る | シナリオの筋書き |
| ③ 前提値を取る | 炭素価格、エネルギー価格、気温などを取得する | 各シナリオの数値データ |
| ④ 影響に変換する | 自社のコスト・需要・資産価値への影響を試算する | ―(自社の事業データが必要) |
| ⑤ 対応と開示 | 対応策を整理し、前提と結果を開示する | 参照した版と出典 |
どのシナリオを選ぶか
選び方の定石は、移行リスクが強く出る筋書きと、物理的リスクが強く出る筋書きを1本ずつ取ることです。前者はNet Zero 2050やDelayed Transition、後者はCurrent Policiesが典型です。両端を見ておけば、どちらに振れても説明ができます。
カーボンプライシングの水準がコストに直結する業種では、Delayed Transitionが効きます。政策が遅れて後から急に強まる想定なので、投資判断を先送りした場合の負担が見えやすいためです。
つまずきやすい3か所
実務で止まるのは、たいてい次の3か所です。
- 粒度が合わない:NGFSのデータは国や地域の単位です。自社の工場や個別製品の粒度には直接落ちません。按分の考え方を先に決めておきます。
- 版を書き残していない:第5版と第4版では前提が違います。開示文には参照した版と取得時点を明記します。
- 結論を出そうとしすぎる:シナリオ分析は将来予測ではありません。IPCCの評価と同じく、幅を示すための道具です。単一の数字に丸めると、後で説明が破綻します。
日本での位置づけ|金融庁と日本銀行
日本からは金融当局が参加しています。金融庁は平成30年(2018年)6月6日にメンバーとなったことを公表しています。NGFSのメンバー一覧には、金融庁(Japan Financial Services Agency)と日本銀行(Bank of Japan)の双方が掲載されています。
ここから分かるのは、NGFSの議論が国内の金融行政に流れ込む経路があるということです。金融機関の側でシナリオ分析が定着すれば、融資や保険の条件を通じて事業会社にも影響します。サステナブルファイナンスやトランジションファイナンスの実務とつながる部分です。
最近の動き|異常気象の経済・金融影響
直近の動きも押さえておくと、社内での説明に使えます。金融庁の公表によれば、2026年5月19日にNGFSは「異常気象の経済・金融上の影響に関する文書」を公表しました。G7議長国フランスの要請で作成されたもので、異常気象が経済・金融システムに与える影響や波及経路を分析した内容だとされています。
論点の重心が移行リスクから物理的リスクの側にも広がってきていることが読み取れます。NGFS自身も、長期シナリオの改善に加えて短期の悪条件シナリオの公表を目指すとしています。有価証券報告書での開示を担当している場合、この方向は数年内に開示要求として降りてくる可能性があります。
まとめ
NGFSは、気候リスクを金融の側から扱うためにつくられた中央銀行・監督当局のネットワークです。2017年12月に8機関で発足し、2026年8月時点で152機関・95か国以上に広がっています。
企業の実務で意味を持つのは、シナリオ分析の参照先として使えるという一点です。7つの筋書きから対照的な2〜3本を選び、前提値を取り、自社の影響に変換する。そして参照した版と時点を必ず書き残す。この3点を守れば、開示で前提を問われたときに答えられます。脱炭素の取り組み全体では、目標設定の妥当性を説明する材料にもなります。
greenoteでは、ESG・サステナビリティをわかりやすく発信しています。ご相談はお気軽にどうぞ。
お問い合わせはこちら出典・参考(一次情報)
- NGFS「Origin and Purpose」(2017年12月のパリ「One Planet Summit」で8つの中央銀行・監督当局が設立)
- NGFS「Membership」(2026年8月26日時点でメンバー152機関・95か国以上、オブザーバー24機関。金融庁・日本銀行も掲載)
- NGFS Scenarios Portal(移行リスク×物理的リスクの4象限と7つのシナリオの定義)
- 金融庁「NGFS(気候変動リスクに係る金融当局ネットワーク)への参加について」(平成30年6月6日。NGFSは平成29年12月設立)
- 金融庁「NGFSによる長期気候シナリオ等の公表について」(2024年11月5日に第5版シナリオと技術文書等を公表)
- 金融庁「NGFSによる長期シナリオに関する解説資料の公表について」(2025年11月7日公表の第5版解説資料群)
- 金融庁「NGFSによる異常気象の経済・金融上の影響に関する文書の公表について」(2026年5月19日公表。G7議長国フランスの要請により作成)
※シナリオは版が更新されます。本記事は2026年9月時点の公表情報に基づく解説です。実務では参照した版と取得時点をご確認ください。
よくある質問(FAQ)
Q. NGFSシナリオは無料で使えますか?
A. NGFSはシナリオのポータルサイトを公開しており、誰でも参照できる形で提供されています。企業が加盟する必要はありません。NGFSのメンバーは中央銀行と金融監督当局に限られており、事業会社は「使う側」として関わります。
Q. 何本のシナリオを使えばよいですか?
A. 実務では対照的な2〜3本が一般的です。移行リスクが強く出る筋書き(Net Zero 2050やDelayed Transition)と、物理的リスクが強く出る筋書き(Current Policies)を組み合わせると、どちらに振れても説明ができます。7本すべてを扱う必要はありません。
Q. IPCCのシナリオとは何が違いますか?
A. 目的が違います。IPCCの評価は科学的な気候の見通しが中心で、NGFSシナリオはそれを金融・経済への影響評価に使えるよう整えたものです。NGFSの説明でも、気候シナリオは2020年以降、中央銀行・監督当局が経済と金融システムへの影響を検討できるよう適応させたとされています。
Q. 開示文には何を書けばよいですか?
A. 選んだシナリオ名と、参照した版(第5版など)と取得時点、そして自社の影響に変換する際の前提です。版を書いていないと、翌年の更新で数字が変わったときに比較ができません。結論を単一の数値に丸めず、幅として示すほうが説明が持ちます。
最終更新日:2026年9月5日
編集責任
greenote編集責任者
サステナビリティ実務・編集統括
ESG・サステナビリティ開示・脱炭素分野の一次情報を継続的に確認し、greenote掲載記事の企画・編集・公開に責任を持っています。官公庁・国際機関の公式情報に基づく編集方針を統括しています。