製品やサービスの裏側で、誰かの人権が損なわれていないか——。いまや企業は、自社だけでなく取引先や調達先も含めて、人権への責任を問われる時代になりました。その世界共通の土台が、2011年に国連が全会一致で承認した「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)」です。本記事では、この指導原則の3つの柱と、企業に求められる対応を、国連・外務省などの一次情報をもとに、わかりやすく解説します。
具体的な進め方については人権デューデリジェンスとはもあわせてご覧ください。
≡この記事の目次
- 1ビジネスと人権とは
- ►ビジネスと人権をひとことで言うと
- ►なぜ、いま重視されるのか
- 2国連指導原則(UNGP)の成立
- ►ラギー枠組から2011年の全会一致の承認へ
- ►法的拘束力はないが、事実上のグローバル基準
- 33つの柱――保護・尊重・救済
- ►国家の保護義務と、企業の尊重責任
- ►救済へのアクセス
- 4企業の「人権尊重責任」の中身
- ►方針によるコミットメントと人権デューデリジェンス
- ►救済(グリーバンス)の仕組み
- 5日本の動きと国際規範
- ►行動計画(NAP)と経済産業省のガイドライン
- ►OECD・ILOなどの国際規範
- 6企業に求められる対応
- ►経営に組み込み、トップが関与する
- ►ステークホルダーとの対話と情報開示
- 7ビジネスと人権をどう捉えるか
- 8出典・参考(一次情報)
ビジネスと人権とは
まず、ビジネスと人権という言葉を整理します。「企業活動が人権に与える影響に、企業が責任を持つ」という発想から入りましょう。
ビジネスと人権をひとことで言うと
ビジネスと人権とは、ひとことで言えば、企業活動が人権に与える負の影響を、企業の責任として防ぎ、対処していくという考え方です。ここでいう人権は、自社の従業員だけの話ではありません。サプライチェーン上の労働者、地域住民、消費者など、事業に関わるあらゆる人々の権利が対象になります。
かつて、人権は主に国家が守るものと考えられてきました。しかし、グローバル化で企業活動が国境を越えて広がるにつれ、企業こそが人権に大きな影響を及ぼすようになった。強制労働や劣悪な労働環境、地域社会への被害——。こうした問題に、企業が自らの責任として向き合う。それが、ビジネスと人権というテーマの出発点です。
なぜ、いま重視されるのか
ビジネスと人権が世界的に重視される背景には、サプライチェーンのグローバル化があります。製品の原材料や部品は、世界各地から集められます。その過程のどこかで人権侵害が起きていれば、最終製品を売る企業も、責任を免れないという認識が広がりました。「知らなかった」では通用しない時代になったのです。
加えて、投資家や消費者の視線も厳しくなっています。ESG投資では、人権への配慮が企業評価の重要な要素になった。人権問題への関与が明るみに出れば、不買運動や取引停止、株価の下落を招きかねません。人権の尊重は、倫理的に「よいこと」であるだけでなく、企業価値と経営リスクに直結する課題になっているのです。
国連指導原則(UNGP)の成立
ビジネスと人権を語るうえで欠かせないのが、国連の「指導原則(UNGP)」です。その成り立ちと位置づけを見ていきます。
指導原則ができるまで
2005年
国連事務総長特別代表にジョン・ラギー氏が任命される
2008年
保護・尊重・救済の枠組みを提案し、承認される
2011年
指導原則(UNGP)を国連人権理事会が全会一致で承認
国家と企業の役割を初めて包括的に整理した、世界共通の土台になった。
出典:国連広報センター・外務省の公開情報をもとにgreenote作成
ラギー枠組から2011年の全会一致の承認へ
ビジネスと人権の中心にあるのが、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)」です。この原則が生まれたきっかけは、2005年に国連事務総長の特別代表に任命された、ジョン・ラギー氏の取り組みでした。ラギー氏は2008年、「保護・尊重・救済」の枠組みを人権理事会に提出し、承認されます。
そして、この枠組みを実行するための具体的な原則として、2011年6月、国連人権理事会が全会一致で承認したのが、指導原則です。国家と企業が、人権に対してどのような役割を担うのかを、初めて包括的に整理した画期的な文書でした。以来、指導原則は、ビジネスと人権に関する世界共通の土台として、各国の政策や企業の取り組みの基準になっています。
法的拘束力はないが、事実上のグローバル基準
ここで押さえておきたいのが、指導原則の性格です。指導原則は、国際条約のような法的拘束力を持ちません。守らなくても、それ自体で罰せられるわけではない。しかし、だからといって軽いものではありません。むしろ、事実上のグローバル基準として、絶大な影響力を持っています。
なぜなら、各国政府がこれをもとに法律やガイドラインを整え、投資家や取引先が企業に指導原則にそった対応を求めるようになったからです。前章で触れた各国の人権関連の法規制も、その多くは指導原則を土台にしています。「ソフトロー(緩やかな規範)」でありながら、世界の企業行動を実際に動かしている——。それが、指導原則の存在感です。
3つの柱――保護・尊重・救済
指導原則は、3つの柱で支えられています。国・企業・被害者という、それぞれの立場から人権をとらえた構造です。
3つの柱で支える
柱①
国家の保護義務
国が、企業などによる人権侵害から人々を保護する。法律や政策で守る。
柱②
企業の尊重責任
企業が人権を尊重し、負の影響を防ぎ対処する。すべての企業が対象。
柱③
救済へのアクセス
人権を侵害された人が、実効的な救済を受けられるようにする。
国が守り、企業が尊重し、被害者が救済される。この3つがそろって機能する。
出典:国連広報センター・外務省の公開情報をもとにgreenote作成
国家の保護義務と、企業の尊重責任
指導原則は、31の原則からなり、その骨格が3つの柱です。第一の柱が、国家の人権保護義務。これは、企業を含む第三者による人権侵害から、国が人々を保護する義務を負う、という考え方です。国は、法律や政策、司法を通じて、人権が守られる環境を整える役割を担います。
第二の柱が、企業の人権尊重責任。これは、企業が人権を尊重し、自らの活動が人権に与える負の影響を防ぎ、対処する責任を負う、というものです。重要なのは、この責任が企業の規模・業種・所在地を問わず、すべての企業に及ぶとされている点です。大企業だけでなく、中小企業も例外ではありません。国の義務と企業の責任は、それぞれ独立して問われます。
救済へのアクセス
第三の柱が、救済へのアクセスです。どれだけ予防に努めても、人権への負の影響を完全にゼロにはできません。だからこそ、実際に人権を侵害されてしまった人が、適切な救済を受けられる仕組みが必要になる。これが、3本目の柱の考え方です。
救済には、裁判などの司法的な手段だけでなく、企業内外の苦情処理の窓口(グリーバンス・メカニズム)といった、司法によらない手段も含まれます。国は救済への道を整え、企業も自ら救済の仕組みを設けることが求められる。国が守り、企業が尊重し、被害者が救済される——。この3つがそろって初めて、ビジネスと人権の枠組みは機能するのです。
企業の「人権尊重責任」の中身
3つの柱のうち、企業が直接問われるのが「尊重責任」です。具体的に何をすればよいのか、その中身を整理します。
尊重責任を、行動に移す
人権方針のコミットメント
人権を尊重するという方針を、トップが約束し、社内外に表明する。
人権デューデリジェンス
人権への負の影響を特定・防止・軽減し、対処を説明する継続的な取り組み。
救済
負の影響を引き起こした場合に、その是正と救済に関与する。
方針を掲げ、デューデリジェンスで防ぎ、問題が起きれば救済する。この3つが尊重責任の柱になる。
出典:国連広報センター・経済産業省の公開情報をもとにgreenote作成
方針によるコミットメントと人権デューデリジェンス
では、企業は「尊重責任」を、どう果たせばよいのでしょうか。指導原則は、そのための要素を示しています。まず出発点が、人権方針のコミットメントです。人権を尊重するという方針を、経営トップが承認し、社内外に向けて表明する。これによって、人権尊重を企業の公式な約束として位置づけます。
そして、その中核となるのが、人権デューデリジェンスです。これは、自社と取引先における人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、その対処を説明する、継続的な取り組みを指します。指導原則という大きな枠組みのなかで、人権デューデリジェンスは、尊重責任を実際に果たすためのエンジンにあたる。方針を掲げるだけでなく、それを行動に移す仕組みなのです。
救済(グリーバンス)の仕組み
尊重責任のもう一つの要素が、救済です。企業が、人権への負の影響を引き起こした、あるいは助長した場合には、その是正と救済に関与することが求められます。予防に努めてもなお生じてしまった被害に、企業として向き合う姿勢です。
そのための仕組みが、苦情処理の窓口(グリーバンス・メカニズム)です。労働者や地域住民などが、安心して苦情や懸念を申し立てられる窓口を設け、問題を早期に把握して対応する。こうした仕組みは、被害者を救済するだけでなく、深刻化する前にリスクの芽を摘む役割も果たします。方針・デューデリジェンス・救済。この3つがそろって、企業の尊重責任は形になるのです。責任ある調達の実務ともつながります。
日本の動きと国際規範
ビジネスと人権は、国際的な合意にとどまりません。日本でも、政府が具体的な行動を進めています。
国内の行動と、国際的な規範
行動計画(NAP)
日本政府が2020年に策定。企業に人権尊重と人権デューデリジェンスの導入を期待。
経済産業省ガイドライン
2022年公表。責任あるサプライチェーンでの人権尊重の進め方を示す。
国連指導原則を土台に、国内の行動計画やガイドライン、国際規範が重なり合っている。
出典:外務省・経済産業省の公開情報をもとにgreenote作成
行動計画(NAP)と経済産業省のガイドライン
日本政府も、ビジネスと人権への取り組みを進めています。その柱が、2020年10月に策定された「ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)」です。これは、指導原則を国内で実施するための、政府としての方針をまとめたもの。企業に対し、人権への負の影響の特定・予防・対処や、人権デューデリジェンスの導入への期待が示されました。
さらに、2022年9月には、経済産業省が「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を公表しました。企業が人権尊重の取り組みを進めるうえでの、具体的な指針です。ただし、これらはいずれも法的拘束力のある規制ではなく、指導原則をふまえて企業の自主的な取り組みを促すもの。日本は、まずソフトローで企業を後押しするアプローチをとっているのです。
OECD・ILOなどの国際規範
指導原則のほかにも、ビジネスと人権に関わる国際的な規範があります。代表的なのが、OECD(経済協力開発機構)の多国籍企業行動指針です。これは、多国籍企業に期待される責任ある行動を幅広く示したもので、人権や労働、環境などの章を含みます。各国には、企業の問題を扱う連絡窓口(NCP)が設けられています。
また、ILO(国際労働機関)の多国籍企業宣言も、労働に関する国際規範として重要です。これらは、指導原則と互いに補い合う関係にあります。いずれも、根底では「企業が人権や労働を尊重すべき」という同じ方向を向いている。ビジネスと人権は、複数の国際規範が重なり合いながら、企業に対応を促している領域なのです。
企業に求められる対応
では、企業は具体的に何から始めればよいのか。指導原則をふまえた対応の要点を整理します。
経営に組み込み、対話する
経営への組み込み
人権尊重を経営トップが約束し、方針として掲げる。担当部門任せにせず、全社の課題として位置づける。
対話と情報開示
労働者や地域住民などステークホルダーと対話する。取り組みや救済の仕組みを分かりやすく開示する。
特別な活動ではなく、経営そのものに人権の視点を組み込むことが出発点になる。
出典:国連広報センター・経済産業省の公開情報をもとにgreenote作成
経営に組み込み、トップが関与する
企業がビジネスと人権に取り組む出発点は、人権尊重を経営に組み込むことです。人権への配慮を、一部の担当部門だけの仕事にしてしまっては、実効性は上がりません。経営トップが自ら関与し、全社の課題として位置づける。方針を掲げ、責任者を定め、必要な資源を割り当てる。ここが、すべての土台になります。
そのうえで、前述の人権デューデリジェンスを回していきます。自社とサプライチェーンのどこに人権リスクがあるかを調べ、深刻なものから優先的に手を打つ。一度きりで終わらせず、繰り返し見直しながら改善を続ける。人権尊重は、特別なキャンペーンではなく、日々の経営に埋め込まれた継続的な営みであるべきなのです。
ステークホルダーとの対話と情報開示
もう一つ欠かせないのが、ステークホルダーとの対話です。人権への影響を最もよく知るのは、多くの場合、影響を受ける当事者——労働者や地域住民です。彼らの声に耳を傾けずに、机上でリスクを判断しても、実態を見誤りかねません。当事者との対話を通じて、隠れた問題を把握することが重要になります。
そして、取り組みを情報開示することも求められます。どんな方針を掲げ、どんなリスクにどう対処し、どんな救済の仕組みを設けているか。これを分かりやすく発信することで、投資家や取引先、消費者からの信頼を得られます。前章で触れた各国の開示規制も、こうした説明を後押しするものです。対話し、開示する姿勢が、企業の人権尊重を確かなものにします。
ビジネスと人権をどう捉えるか
ビジネスと人権とは、企業活動が人権に与える負の影響を、企業の責任として防ぎ対処するという考え方です。その土台が、2011年に国連で全会一致で承認された指導原則(UNGP)であり、国家の保護義務・企業の尊重責任・救済へのアクセスという3つの柱からなります。企業は、人権方針・人権デューデリジェンス・救済を通じて尊重責任を果たすことが求められ、日本でも行動計画やガイドラインが整えられてきました。
大切なのは、ビジネスと人権を「規制で罰せられないための守り」だけで捉えないことでしょう。その根底にあるのは、事業に関わるすべての人の尊厳を尊重するという、企業の姿勢です。リスク管理を超えて、人権を積極的に尊重する。それが、長期的な信頼と企業価値につながります。人権デューデリジェンスや強制労働への対応とあわせて捉えると、全体像が見えてきます。ESGの全体像はESG完全ガイドもご覧ください。
自社の活動の先にいる、一人ひとりの人間に思いを寄せること。ビジネスと人権は、企業が「人」をどう扱うかを根本から問う、S(社会)の土台となるテーマなのです。なお本記事は制度を中立に整理したものであり、最新の内容は国連や外務省などの公表資料でご確認ください。
よくある質問(FAQ)
Q. ビジネスと人権とは何ですか?
A. 企業活動が人権に与える負の影響を、企業自身の責任として防ぎ、対処するという考え方です。中心にあるのが、2011年に国連人権理事会で全会一致で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)」で、国家の保護義務・企業の尊重責任・救済へのアクセスという3つの柱と31の原則からなります。
Q. 国連指導原則(UNGP)と人権デューデリジェンスの関係は?
A. 人権デューデリジェンスは、指導原則が定める「企業の人権尊重責任」を果たすための中核的な手段です。指導原則という大きな枠組みのなかで、企業が人権への負の影響を特定・防止・軽減し、対処を説明していく具体的なプロセスとして位置づけられています。
Q. 日本ではどんな取り組みがありますか?
A. 日本政府は2020年10月に「ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)」を策定し、2022年9月には経済産業省が「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を公表しました。いずれも法的拘束力のある規制ではなく、国連指導原則をふまえて企業の自主的な人権尊重の取り組みを促すものです。
出典・参考(一次情報)
- 国連広報センター「ビジネスと人権に関する指導原則」
- 外務省「ビジネスと人権」
- 経済産業省「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」
最終更新日:2026年7月1日
編集責任
greenote編集責任者
サステナビリティ実務・編集統括
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