脱炭素は、地球環境のためにどうしても必要です。けれども、その移行の過程で、仕事を失う人や、活気を失う地域が出てしまったら——それは本当に「持続可能」だといえるでしょうか。この問いに向き合う考え方が、「公正な移行(Just Transition)」です。
本記事では、公正な移行とは何かを整理したうえで、いま最も具体的にその課題が現れているEV化を例に、移行のリアルを見ていきます。EV普及の実態は、関連記事のGlobal EV Outlook 2026の要点もあわせてご覧ください。
≡目次
- 1公正な移行(Just Transition)とは
- ►脱炭素を「誰も取り残さない」形で進める
- ►労働組合運動からILO・パリ協定・EUへ
- 2なぜいま「公正な移行」が問われるのか
- ►脱炭素は産業構造そのものを変える
- ►自動車産業は日本の就業者の約1割
- ►投資家も注目する「S」のテーマ
- 3EV化が示す「移行」のリアル
- ►部品点数は約3万点から約2万点へ
- ►内燃機関サプライヤーへの影響
- ►一方で生まれる雇用もある
- 4公正な移行の進め方と企業の対応
- ►社会対話・再教育・社会的保護
- ►EUの公正な移行メカニズム
- ►企業に求められるリスキリングと事業転換
- 5日本企業・投資家への示唆
- ►サプライヤーの事業転換を早めに描く
- ►開示でも問われる「公正な移行」
- ►移行リスクを経営に織り込む
- 6まとめ|脱炭素は「公正」であってこそ続く
公正な移行(Just Transition)とは
脱炭素は、社会のあり方を大きく変えます。その変化で誰かが取り残されないように——それが「公正な移行」の出発点です。まずは概念を押さえましょう。
脱炭素を「誰も取り残さない」形で進める
公正な移行とは、脱炭素などの環境課題に取り組む際に、労働者の権利や生計、地域社会を守りながら移行を進めるという考え方です。脱炭素を「やるか・やらないか」ではなく、「どう公正に進めるか」を問う視点だといえます。
その核にあるのは、「誰も取り残さない」という理念です。気候変動対策は不可欠でも、その負担が特定の労働者や地域に偏れば、社会の分断を招きます。脱炭素を長く続けるには、移行の痛みを和らげる仕組みが欠かせないのです。
労働組合運動からILO・パリ協定・EUへ
この考え方は、もともと労働組合運動のなかで生まれました。環境規制で職を失う労働者をどう守るか、という現場の問題意識が出発点です。
その後、公正な移行は国際的に広がります。ILO(国際労働機関)が2015年にガイドラインを示し、パリ協定の前文でも言及されました。2018年のCOP24(カトヴィツェ)では宣言が採択され、EUも政策に取り入れています。いまや公正な移行は、世界で共有される概念になりました。
なぜいま「公正な移行」が問われるのか
公正な移行が注目されるのは、脱炭素が産業と雇用の構造を変えるからです。その背景を整理します。
公正な移行を支える3つの要素
「誰も取り残さない」移行のために
社会対話
労使や地域を交えて移行のあり方を話し合う
再教育・スキル転換
新しい産業で働けるよう学び直しを支援(リスキリング)
社会的保護
移行期の所得や雇用を支える仕組み
核にあるのは「誰も取り残さない」移行。あわせて地域経済の多様化も重要です。
出典:ILO「公正な移行ガイドライン」等をもとにgreenote作成
脱炭素は産業構造そのものを変える
脱炭素は、単に省エネを進めるだけの話ではありません。化石燃料に依存してきた産業が縮小し、再エネや電動化といった新しい産業が広がります。これは、産業構造そのものの組み替えです。
組み替えが起きれば、雇用も動きます。縮小する産業では職が減り、伸びる産業では職が生まれます。問題は、減る場所と生まれる場所が、同じ人・同じ地域とは限らないことです。そこに、公正な移行という論点が立ち上がります。
自動車産業は日本の就業者の約1割
日本で、この論点が最も重くのしかかる産業の一つが、自動車です。自動車産業の就業者は約550万人にのぼり、全産業の約1割を占めるとされます。すそ野が広く、部品メーカーや関連企業まで含めれば、その影響は計り知れません。
それだけの雇用を抱える産業が、EV化という大きな転換のただ中にあります。だからこそ、自動車のEV化は、公正な移行を考えるうえで避けて通れないテーマなのです。
投資家も注目する「S」のテーマ
公正な移行は、ESGの「S(社会)」の重要テーマでもあります。近年は投資家の関心も高まりました。移行を軽視すれば、雇用問題や地域の反発が、企業の事業リスクに直結しかねないからです。
脱炭素の取り組みが、社会的な配慮を欠いていないか。そうした視点で企業を見る投資家が、確実に増えています。公正な移行は、もはや理念ではなく、評価の対象になりつつあります。
EV化が示す「移行」のリアル
公正な移行を、最も具体的に映し出すのがEV化です。部品と雇用に、いま何が起きているのかを見ていきます。
EV化が部品と雇用に与える影響
移行のリアルが、最も具体的に現れる現場
自動車の部品点数
約3万→2万点
エンジン関連が不要に
欧州の自動車部品雇用
−11.8万件
2019年以降。新規創出は約5.5万件
日本の自動車産業就業者
約550万人
全産業の約1割を占める
内燃機関の雇用は減る一方、電池・電動化・ソフトウェアでは新たな雇用も生まれています。
出典:ジェトロ(欧州自動車部品工業会)、日本自動車工業会ほかをもとにgreenote作成
部品点数は約3万点から約2万点へ
EV化のインパクトは、まず部品に現れます。エンジン車は、約3万点もの部品で構成されると言われます。ところがEVには、エンジンもトランスミッションもありません。その結果、部品点数は約2万点へと、大きく減る見込みです。
減るのは、主に内燃機関に関わる部品です。エンジン部品やその周辺を主力としてきたサプライヤーにとって、これは事業の土台が揺らぐ変化を意味します。
内燃機関サプライヤーへの影響
雇用への影響は、すでに数字に表れています。欧州では、自動車部品産業で2019年以降に約5万5,000件の新規雇用が生まれた一方、約11万8,000件が失われたとされます。欧州自動車部品工業会が指摘する数字です。差し引きでは、雇用が大きく減りました。
内燃機関に特化したサプライヤーほど、転換は容易ではありません。長年培った技術が、EV時代には活かしにくくなる場合があるからです。これこそ、公正な移行が向き合うべき現実です。サプライチェーンの構造変化は、関連記事の中国がEV生産の約75%|EV貿易・バッテリー・自動運転の最前線もあわせてご覧ください。
一方で生まれる雇用もある
ただし、EV化は雇用を奪うだけではありません。電池の製造、電動化の技術、車載ソフトウェアやAIといった分野では、新たな雇用が生まれています。需要が移るところに、仕事も移るのです。
問題は、失われる側から生まれる側へ、人材を円滑に移せるかどうかです。減る職と増える職は、求められるスキルも、立地も異なります。この橋渡しをどう設計するかが、移行の成否を分けます。
公正な移行の進め方と企業の対応
では、移行を「公正」に進めるには何が要るのでしょうか。要素と、具体的な取り組みを整理します。
公正な移行に向けた役割分担
政策と企業が連携してこそ、円滑な移行が実現する
政策の役割
- 移行期の所得・雇用を支える社会的保護
- 特定産業に依存した地域経済の多様化
- EUの公正な移行メカニズム(基金で支援)
企業の役割
- サプライヤーを含めたリスキリング
- 内燃機関から電動化などへの事業転換計画
- 労使・地域との社会対話と情報開示
政策と企業が連携してこそ、痛みを抑えた移行が実現します。
出典:ILO・EU等の公開情報をもとにgreenote作成
社会対話・再教育・社会的保護
公正な移行には、いくつかの定番の要素があります。一つ目は、労使や地域を交えた「社会対話」です。当事者が話し合い、納得のいく移行の道筋を描くことが土台になります。
二つ目は、「再教育・スキル転換(リスキリング)」です。新しい産業で働けるよう、学び直しを支援します。三つ目は、「社会的保護」です。移行期の所得や雇用を支える仕組みが、痛みを和らげます。これらに加え、特定産業に依存した地域経済を多様化することも重要です。
EUの公正な移行メカニズム
政策の先行例が、EUです。EUは「公正な移行メカニズム(Just Transition Mechanism)」と専用の基金を設けました。石炭など化石燃料のバリューチェーンに依存する地域や労働者を、資金面で支援する仕組みです。
脱炭素で打撃を受ける地域に、移行のための投資を呼び込む。雇用の受け皿づくりや再教育を後押しする。こうした公的な支援が、移行の衝撃を和らげる役割を果たします。
企業に求められるリスキリングと事業転換
企業にも、果たすべき役割があります。とりわけ自動車メーカーや大手サプライヤーには、取引先を含めたリスキリングや、事業転換の計画づくりが求められます。
たとえば、内燃機関部品の技術を、電動化部品や他分野へ応用できないか。従業員の学び直しを、どう支援するか。こうした取り組みを早めに始めるほど、移行は円滑になります。脱炭素の全体像は脱炭素・カーボンニュートラルとは?完全ガイドもあわせてご覧ください。
日本企業・投資家への示唆
公正な移行は、経営や投資の判断にどう関わるのでしょうか。示唆を整理します。
サプライヤーの事業転換を早めに描く
第一の示唆は、サプライヤーの事業転換を、早めに描くことです。EV化のような構造変化は、ある日突然来るわけではありません。けれども、気づいてから動いたのでは遅い場合があります。
自社や取引先の事業が、どの程度内燃機関に依存しているか。代替の事業や技術はあるか。こうした点検を早く始めた企業ほど、転換の選択肢を多く持てます。
開示でも問われる「公正な移行」
第二に、開示の観点です。公正な移行は、サステナビリティ情報開示でも問われ始めています。脱炭素の目標だけでなく、その移行が雇用や地域にどう配慮しているか。投資家は、そこにも目を向けます。
削減計画と並べて、人材や地域への配慮を語れるか。公正な移行への姿勢は、企業の評価を左右する要素になりつつあります。
移行リスクを経営に織り込む
第三に、移行リスクを経営に織り込むことです。脱炭素への移行は、規制・市場・技術の変化を通じて、事業に「移行リスク」をもたらします。雇用や地域の問題も、その一部です。
このリスクを直視し、対応を経営戦略に組み込む。痛みを最小化しながら変化を進める企業こそ、長い目で信頼を得ていきます。公正な移行は、リスク管理であると同時に、企業価値を守る取り組みでもあるのです。
まとめ|脱炭素は「公正」であってこそ続く
公正な移行は、脱炭素を持続させるための、もう一つの鍵です。最後に、要点を振り返りましょう。
- 公正な移行(Just Transition)とは、脱炭素を労働者や地域を取り残さない形で進める考え方。労働組合運動からILO・パリ協定・EUへと広がった
- EV化はその具体例。自動車の部品点数は約3万点から約2万点へ減り、欧州では部品雇用が創出5.5万件・喪失11.8万件と大きく動いた
- 日本の自動車産業は就業者約550万人。移行の社会的影響は大きく、リスキリングや事業転換が課題
- 進め方の要は社会対話・再教育・社会的保護。EUは公正な移行メカニズムで地域を支援。企業には早めの転換計画と開示が求められる
脱炭素は、地球のために避けられません。けれども、それが誰かを置き去りにするものであってはならない。公正な移行という視点は、脱炭素を長く続けるための土台です。変化の痛みに向き合い、人と地域に配慮しながら進める。その姿勢こそが、これからの企業に問われています。ESG・脱炭素の最新動向は、これからもgreenoteでお届けしていきます。
参考(出典):ILO「Guidelines for a just transition」、ジェトロ「欧州自動車部品工業会、EU域内での投資減退と雇用減少に危機感」、一般社団法人日本自動車工業会(JAMA)ほか
出典・参考(一次情報)
※ 本記事は上記の一次情報をもとにgreenote編集部が整理しています。最新の内容は各公式サイトでご確認ください。
編集責任
greenote編集責任者
サステナビリティ実務・編集統括
ESG・サステナビリティ開示・脱炭素分野の一次情報を継続的に確認し、greenote掲載記事の企画・編集・公開に責任を持っています。官公庁・国際機関の公式情報に基づく編集方針を統括しています。
最終更新日:2026年6月20日